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  • 自分の意見をたいせつに

    2024/04/04

    自分の意見を言わずに殺すことの問題点が、あまりわかっていなかったけど、最近一つ分かった。

    それは「自律神経が乱れる」ということである。

    確かに、カナダで自分の意見を言う機会が多くあった最初の半年間は、非常に安定していたと思う。

    自分の意見を言えない環境下では、今まで何かしらの身体異常が出ていた。(帯状疱疹など)

    誰にも考えを否定する権利などないのだから、心の声に気づいたら、言ってみたらいいのだ。

    それを否定されたら、その人とは喋らなければいいだけ。その人がそれまでだったというだけ。

    ずっと気になっていていた、近所のある建物に行ってみた。

    そこは、カフェと誰でも使える共有スペースと、おしゃれな雑貨屋さんが一つに並んでいる。

    その雑貨屋さんには福、アクセサリー、食器、本、さらには洗剤など本当に多種多様なものが売っていて、楽しい場所だった。

    そして商店街の魚屋さんで桜鰤を買った。割引されていて、少し血生臭かったが、これも経験。割引のお刺身は買うべきではない。

    「SEE HEAR LOVE」を全部観た。本当に良かった。

    考えさせられる非常に深い映画だった。

    自分が事実恵まれているはずなのに、どこか満足しきれていなかったり、なぜか虚しくなってしまうという人にはぜひ観てみてほしい。

  • タイトルなし

    2024/04/02

    今日は、母親に”今度いっしょに旅行に行こう”とラインを送った。

    時間のある今しかできない貴重なことをよく考えようと思った。

    お盆に帰省したら、父親にも、家族旅行について伝えてみようと思う。

    退勤後、ルミネに行って、またオルビスを尋ねた。化粧水のみを買うつもりだったが、コンシーラーも買ってしまった。

    最近、服の配色には肌の明るさも非常に影響していることが分かった。イエベ、ブルべ以前に肌がくすんでいたら、何を着てもパッとしない。

    逆に透明感があれば、ラフな格好でも整って見え、美しく見える。

    映画「SEE HEAR LOVE」を観始めた。

    まだ途中だが、すでに素晴らしい映画だ。

    人によって、感性によって、受け取る印象もメッセージも違うだろう。映像は、美しい。続きが楽しみだ。

  • 良い旅を

    昔のバイト先の社員さんに、おもしろい人がいた。

    その人は、21歳の時にホームレスだったが、現在30代半ばで、人生を謳歌していた。その人がある日、

    ”俺の座右の銘は、「人生は死ぬまでの暇つぶし」だから”

    と言っていて、少し腑に落ちたのを憶えている。

    私の考えとしては、暇つぶしと言ってしまうと、すこしつまらないから、旅行とか、ワーホリとかのような感覚だなと感じた。

    いろんな人に出逢って話を聞いて、自分のしたいことやしなきゃいけないことはまだいいかなぁとか、あとでいいかなと思っていたら、気が付いた時には手遅れだったり。

    縛られるよりも自分が楽しむために旅行ってするし、でもそれのためにちょっと面倒な手続き(予約とか)は必要で、その都度本当に今しなきゃいけないこととか、逆に今じゃなくて後にした方がよさそうなことを真剣に考えることが重要なのかな。

    英語で、”enjoy your journey!” っていう、主に別れ際で使われることばがある。(直訳:あなたの旅を楽しんで!)

    はじめて聞いたときは、そんなことばがあるんだ、人生を旅と表現するのか、おもしろいなぁと感じただけだったが、今になってみるとすごく納得がいく、合点のいくことば。

    英語圏の人たちの、人生を楽しもうとする力は歴史的なものなのかなと感じた。”言葉は文化を表す”というが、その通りな気がする。

    日常的な会話の中の冗談じみた一言で、こんな考えこんじゃうから疲れてしまう。

  • 棚からぼた餅

    2024/04/02

    昨日寝すぎたせいか、午前3時ごろに目が覚めてしまい、眠れなくなってしまった。

    仕方がないので、朝ごはんを食べ、映画「今夜この世界から恋が消えても」を観た。おもしろかったと思う。

    朝すぎて、あまり覚えていない。

    そのまま寝ずにシャワーを浴び、仕事に向かった。

    ある人が同じ出勤だったので、すごく充実していた。

    ひとが足りない中、規定時間内に業務をおわらせて、何事もなくその日を終えることができた。

    自身の行動もすごく気が利いていたと感じる。

    退勤後、時間があったのでルミネまで行き、服をいっぱい見て、本命のオルビスにスキンケア用品を見に行った。

    その日で買うつもりはなかったが、いちど現物を見たかったのだ。

    思いがけずサンプルを二つももらうことが出来た。棚からぼた餅。

    帰宅すると、ドアノブに、スターバックスの紙袋がかかっていた。

    心当たりがなさすぎて困惑したが、上階の住人からだった。

    騒音でずっと迷惑をかけていたのに優しく注意してくれてありがとうございましたと、ギフトカードをもらった。

    実は先日、上階からの足音に悩まされていたので、直接言いに行ったのだ。(本当は良くない、管理会社や大家さんを通すべき。)

    非常に丁寧で、いかにも社会人らしい文体で書かれていた。

    赤の他人に優しくするのも、悪くはないのかもしれない。

  • 心友の誇り

    2024/04/01

    今日は、ESと興味のあるインテリアの勉強について朝から取り組むつもりだった。朝6時に目が覚めた。

    朝ごはんを食べて、映画「そしてバトンは渡された。」を観た。

    観ていたら寝てしまい、気づけば15時、16時。。。

    これほどの睡眠が必要だったのかと思った。

    そこから、ESに取り組んだ。その後、

    ー私はカナダで1年間、ワーキングホリデーをしていたことがある。

    その時の日本人の友達にこの病気についてふとラインを送ってみた。相談事といって、気づいたらラインを送っていた。

    1時間と少し、電話をして気づいたが、俺はただその友達と話をしたかっただけなのだろうと思った。

    病気の話もしたが、大半はお互いの近況報告、思い出話。ただそれでよかった。

    やっぱりこの人はすごい。等身大なのに、それでいて大きくて、でもすごくなじみ深くて、不思議なひと。

    太陽みたいに明るくて、でも陰のような日々も送ってきているからこそ、深くて、心地よくあたたかい。

    そんな人にソウルメイトと言ってもらえて、特別だと言ってもらえて、そんなの誇りでしかない。

    カナダでのワーキングホリデーも、紆余曲折あったが、この人と出逢えただけでも大成功だ。ありがとう。

  • 大したことないといっても

    2024/03/31

    今日も、仕事だった。そこで、同僚にこう言われた。

    ”今日は〇〇くんときつねくんの日だから不安です”

    正直すごく腹が立った。

    やはり、ひとは自身と周りを同時に気にかけることはできないのかと感じた。

    じぶんを大切にするときは、周りのことはおろそかになる。一方で周りに気を遣ってばかりいると、自分の心の声に気がつかなくなる。要はバランスである。

    「周りからの評価は大したことはない。」

    よく言われることだ。以前、私はあまりよくわからなかった。

    小さいころから、私が自分自身に価値を見出すときは、周りが私に価値を見出したときだ。

    幼少期から、私の善悪の基準は、父親の中にあった。父親の顔色を窺って、自分の意見を聞かれたときに父親の中の正解を探していた。

    それは、自分の言ったことが否定されることも多く、「まだ子供だからな」とあしらわれることもあり、そういわれないためだった。

    そして、現在に至っても、物事の判断基準は自分ではなく他者に依存しがちなのである。

    自分の決断を信じることが出来ない。つまり自信がないのである。周りの評価は、私の無意識の中で、大事だったのだ。

    だから、どうしても心が許さなかった。周りの評価が大したことがないということを。

    でも、最近、少しずつわかってきた気がする。

    自分にとって都合がよく、心地のいい相手は、「良い人」に見える。たとえその人が”悪い人”であっても。

    何か自分にとって都合の悪い出来事が起こると、関係者は途端に悪い人になりえる。たとえ今まで、その人が”良い人”であったとしても。

    この価値観が芽生えてから、周りからの評価は前よりも、とてもフラットに聞こえる。まだ、一喜一憂してしまうが。

    支障をきたさない限り、これは個性と捉えるべきであろう。

  • 公園でのひととき

    2024/03/30

    精神は、とても安定している。晴れの影響も大分大きい。

    仕事先の方が、最終出勤日だったので、もう一人と3人でもんじゃを食べに行った。

    そのあと、公園でコンビニ飯を食べながら、語り合った。

    あ、もんじゃの店で人生で初めて広島焼を食べた。とてもおいしかった。

    粉物の中で一番好きかもしれない。ひとといると、精神は安定しやすいのかな。

    ー公園で、2人に自分の躁鬱のことを話した。

    二人とも精神科に通っていた過去があった。二人とも受け止めて話を聞いてくれた。

    とても、温かかった。まるで、落ちる葉を受け止める両手のように優しく。

    そこにいたらよかったのに。でも、少し恥ずかしいと思う。

    あるひとを不安にさせてしまっている。胸がいたい。

    それを飲み込んで、待ってくれている。「大切」を大切にしよう。

  • 母の声

    2024/03/28

    日が変わってすぐに、母親と電話をした。

    息子が精神的に異常があると知った母は、

    どんな言葉をかけるのだろうと思った。

    母はいつも通りだった。私のことを心配していて、でも明るくて自分の話をしたりして。

    思い返せば、いつもそんなタイミングでしか電話してなかったな。母が不安になるような出来事の  タイミングでしか。もっと電話しよう。

    そのあと、「余命10年」を観た。久しぶりに映画で泣いた。

    主人公の彼氏が、最初は私のように弱くて、でも最後にはたくましくなっていた。

    俺もそんな風になれるのか。。。

    初めて、ぶっ通しで12時間ほど寝た。薬の効果か?

    ひとは、寝すぎることはできないというけど、今の時分には、これだけのちゃんとした睡眠が足りていなかったのか。

    とりあえず、1日、1日を重ねる。今そばにある大切を、大切にしながら。

  • いろんな音痴

    世の中には、運動音痴のひとがいて、機械音痴のひとがいる。

    方向音痴のひともいれば、味音痴のひともいる。

    その逆の例も然り。だったら、得意な人に教えてもらえばいい。

    笑いながら「そんなこともできないの、じゃあ一緒にやろうよ」

    と、そんなひとが近くにいるだけでいい。

    躁鬱もおなじ。ただ、少し生きることに疎いだけ。苦手なだけ。

    変に力が入ってしまったり、意識しすぎてしまったり。

    あとは、初心を忘れてしまったり。だったら、

    得意な人に教わって助けてもらったらいい。

    一緒に歩んでいけるようなひとが近くにいればいい。

    お医者さんに、「あなたは、生活音痴です。定期的に、月に2回、レッスンをします。生活のヒントになるお薬をだしますね」

    そう言われただけ。

    ひとを頼るのは、弱さじゃない。

    むしろ、頼ることができるという強さだ。

    弱音を吐いてしまうのは、弱さじゃない。

    むしろ、じぶんの弱みをさらけ出せるという強さだ。

    人生は、今のところ、正直長い。

    でも、最期には、「短かったな」と、

    そういえる人生でありたい。

  • 人生第二章のはじまり

    2024/03/27

    今日は、ある人を見習って日記を書いてみることにした。

    正直、おおくのことがありすぎて、何から書けばいいのか…

    こうやって文字を書いていると、いかに自分が普段力んでいるか、生き急いでいるかがわかる。

    ・・・人生で初めて、心療内科にお世話になった。小さいころから運動部で青春を送り、割と元気で活発なタイプだった。

    それゆえに、自分がそれに縁があるなんて、数か月前まで思ってもみなかった。

    結果として、「双極性Ⅱ型障害(いわゆる躁鬱)の可能性あり」。

    どこか体が悪い可能性もあるため、血液検査中だ。

    じぶんの心の異変に名前があってホッとしているのか、うつ状態のじぶんを受け入れられずにショックなのか、複雑。。。

    この後、親しい友人と、おいしいご飯を食べにいった。    とても楽しかった。

    彼は、診断結果を聞いても、あまり驚いた様子はなかった。  親しかったから、その節をどこか感じていたのか、びっくりしたけど反応に困ったのか。

    どちらにしても、彼は優しい。共感できるところは精一杯共感 してくれた。私は、それが嬉しかった。

    私には、彼のような優しい友人がいる。こんなに恵まれた環境下での自分の現状が悔しい。休日に、じぶんのために時間を作ってくれて、ご飯を一緒に食べてくれるひとがいる。

    それだけで、とっても幸せなことじゃないか。ほかに何を望むんだ。自分なんかがそれ以上求めるのは傲慢だ。そう自分を責めてしまう。また落ちる。

    ただ、その友人とご飯を食べていた時間で、ひとつ良いことが浮かんだ。

    それは、「今日この日に、私の人生第二章の幕があけた」ということである。