投稿者: kitsunenoatama

  • いろんな音痴

    世の中には、運動音痴のひとがいて、機械音痴のひとがいる。

    方向音痴のひともいれば、味音痴のひともいる。

    その逆の例も然り。だったら、得意な人に教えてもらえばいい。

    笑いながら「そんなこともできないの、じゃあ一緒にやろうよ」

    と、そんなひとが近くにいるだけでいい。

    躁鬱もおなじ。ただ、少し生きることに疎いだけ。苦手なだけ。

    変に力が入ってしまったり、意識しすぎてしまったり。

    あとは、初心を忘れてしまったり。だったら、

    得意な人に教わって助けてもらったらいい。

    一緒に歩んでいけるようなひとが近くにいればいい。

    お医者さんに、「あなたは、生活音痴です。定期的に、月に2回、レッスンをします。生活のヒントになるお薬をだしますね」

    そう言われただけ。

    ひとを頼るのは、弱さじゃない。

    むしろ、頼ることができるという強さだ。

    弱音を吐いてしまうのは、弱さじゃない。

    むしろ、じぶんの弱みをさらけ出せるという強さだ。

    人生は、今のところ、正直長い。

    でも、最期には、「短かったな」と、

    そういえる人生でありたい。

  • 人生第二章のはじまり

    2024/03/27

    今日は、ある人を見習って日記を書いてみることにした。

    正直、おおくのことがありすぎて、何から書けばいいのか…

    こうやって文字を書いていると、いかに自分が普段力んでいるか、生き急いでいるかがわかる。

    ・・・人生で初めて、心療内科にお世話になった。小さいころから運動部で青春を送り、割と元気で活発なタイプだった。

    それゆえに、自分がそれに縁があるなんて、数か月前まで思ってもみなかった。

    結果として、「双極性Ⅱ型障害(いわゆる躁鬱)の可能性あり」。

    どこか体が悪い可能性もあるため、血液検査中だ。

    じぶんの心の異変に名前があってホッとしているのか、うつ状態のじぶんを受け入れられずにショックなのか、複雑。。。

    この後、親しい友人と、おいしいご飯を食べにいった。    とても楽しかった。

    彼は、診断結果を聞いても、あまり驚いた様子はなかった。  親しかったから、その節をどこか感じていたのか、びっくりしたけど反応に困ったのか。

    どちらにしても、彼は優しい。共感できるところは精一杯共感 してくれた。私は、それが嬉しかった。

    私には、彼のような優しい友人がいる。こんなに恵まれた環境下での自分の現状が悔しい。休日に、じぶんのために時間を作ってくれて、ご飯を一緒に食べてくれるひとがいる。

    それだけで、とっても幸せなことじゃないか。ほかに何を望むんだ。自分なんかがそれ以上求めるのは傲慢だ。そう自分を責めてしまう。また落ちる。

    ただ、その友人とご飯を食べていた時間で、ひとつ良いことが浮かんだ。

    それは、「今日この日に、私の人生第二章の幕があけた」ということである。