世の中には、運動音痴のひとがいて、機械音痴のひとがいる。
方向音痴のひともいれば、味音痴のひともいる。
その逆の例も然り。だったら、得意な人に教えてもらえばいい。
笑いながら「そんなこともできないの、じゃあ一緒にやろうよ」
と、そんなひとが近くにいるだけでいい。
躁鬱もおなじ。ただ、少し生きることに疎いだけ。苦手なだけ。
変に力が入ってしまったり、意識しすぎてしまったり。
あとは、初心を忘れてしまったり。だったら、
得意な人に教わって助けてもらったらいい。
一緒に歩んでいけるようなひとが近くにいればいい。
お医者さんに、「あなたは、生活音痴です。定期的に、月に2回、レッスンをします。生活のヒントになるお薬をだしますね」
そう言われただけ。
ひとを頼るのは、弱さじゃない。
むしろ、頼ることができるという強さだ。
弱音を吐いてしまうのは、弱さじゃない。
むしろ、じぶんの弱みをさらけ出せるという強さだ。
人生は、今のところ、正直長い。
でも、最期には、「短かったな」と、
そういえる人生でありたい。
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